MY INCEST MEMORY

シークレット メモリー


あいまいな記憶もありますが、今まで誰にも言えなかった自分の秘密です・・・

記憶のカギで扉を開けていこうと思います、

中には錆びていて鍵が開かない錠もあるかもしれません・・・

開けないほうがよかったと思うものは、後で閉じようと思います




性へ芽生え
小学校、中学校の時、自分の部屋は両親の部屋からふすまでへだてられた4畳半の和室にあった。
小学生のある時期までは、9時以降、遅くまで起きていると怒られるせいもあって、
夜、時折聞こえてくる母の奇妙な苦しそうな声や荒い呼吸がなんであったのかはわからず、
眠気の中でかすかに頭の中を通り過ぎていくただの音のようなものだったと思う。

小学生の5年か6年だっただろうか、当時一石ラジオというものが売りに出され、電池がなくても、
わに口クリップを電気製品のソケット部に噛ませるだけで、ラジオ放送がイヤホンで聴ける物が
売りにだされていた。値段もそんなに高くなく、それを布団の中で聞くようになった。それに伴い、
怒られないように寝たふりをして音量の小さいラジオを聴きながら遅くまで深夜放送を聴くように
なった
その頃まだ性に対する興味は、こっそりと大人の週刊誌で見ていたので、興味はあったものの、
普通ではあり得ない、変な大人の行為として考えていた。

ラジオの深夜放送を聴きながらときおり夜更かしするようになったある日、
母の息の荒い苦しむような大きな声がふすまをへだてた両親の部屋から聞こえてきた。
心配になりいつもわずかに開いている隙間からそっと覗いた。
そこに映し出された光景はあまりにもショッキングなものだった・・・

子供が見てははいけないと言われながら、隠れてドキドキしながら覗いた雑誌や本のなかの
あの男女の行為を自分の両親がしていたのである。母は父の股間にまたがり、
覗いている僕のほうに向けてお尻を突き出し、激しく前後に振りながら喘いでいた。
その光景は頭に焼き付いて、今でも忘れられないものになってしまった。
幼い自分はそれをドキドキしながら、身じろぎせず、じっとその様子を見入っていた。
初めて両親の痴態を見た翌朝は両親の顔をまともに見れず、うつむいてばかりいた記憶がある。
そして、時々覗く両親の夜の営みも、今までは知り得なかった性器の接吻等、色々な姿で
目の前に現れた。

そんなことが時々夜起こるたびに、自分の見た両親の夜の営みが頭に浮かんできた。
そして、小学校6年のある朝、夢精で下着が汚れるようになった。そういう時、決まって、母との
淫らな行為の夢を見るようになっていた。
自慰行為はそんな中で始まった。夜両親の部屋の薄暗い明かりで照らされ、目の前に晒された
母の女性としての肉体が自分の体を段々と男性に変えていった。
そして、毎日のように母を想いながら自慰を繰り返すようになってしまったのである。



募る母への想い
それからというもの、性的対象は母だけとなった。普通であれば、同級生の女性やアイドルなの
であろうが、そうではなかった。風呂からバスタオルを巻いてあがる母の体のふくらみに股間を熱くし
たり、洗濯機に放り込まれた母の下着の性器に触れる部分を嗅いでは自慰にふけるようになった。
当然その下着を自分の部屋へ持ち込んだり、シーツや自分自身の下着を汚すようになって、母も
息子が何を考え、何をしているのか、うすうす感じていたようだ。

中学にはいると、当然それがひどくなり、母の体に触れるようにそばにいったり、掃除や、炊事を
している姿を後ろからじっと見つめ、変化した自分の性器を触るようになってしまっていた。
中学になっても、男子は持っていがちな男性週刊誌や、エロ本という類のものはなく、性的な興奮
を得られる母がすべてになった。その気持ちは激しくなり「お母さんとセックスしたい」という
どうしようもない欲求と父への嫉妬が交錯する狂気にちかい精神状態である。

しかし、この少年期の性への欲求は、いったん火がが付きはじめると、激しくもえさかり、
「悶々と」、或いは「悩む」とかいうなまやさしいものではなく、その表現以上のものがある。
それはまるで嘔吐直前の状態で口を塞がれ我慢を強いられるような一触即発の
爆発寸前に耐える辛さ、苦しみである。
自慰行為はそれを逃れるための手段であった。
心の底で湧き上がる激しい欲求の炎が、それを母へしてはいけないという罪悪感という扉で
蓋をする。そして自慰行為によって燃え崩れそうな扉を一時的に修復する。という繰り返しである。

しかし、親子という関係での母は、毎日のように一緒である。その炎を鎮めるどころか、よりいっそう
強くなっていく。母の身に着けるものや臭いまでが美しく見え、魅力あるものに感じた。
母が寝ていた布団を抱きしめたり、しまいには母の排便後のトイレの臭いを嗅ぎながら自慰行為を
するといったような異常な行動まではじめるようになっていった。自慰回数も増え、一日数回射精
しないと収まらない。そんな中、母は気づいたのであろうか、すこし僕から遠ざけているように見え、
様子が変わっていった。しかし今でもそうであるように、この頃母が魅力的な理想の女性像として
脳裏に強く焼きついたのは事実である。

こんな状況が中学時代ずっと続いていった。今考えると良くそれに耐えたものだと思う。
学校の授業中も母の姿が浮かんでくるとドキドキし家にいる母のそばへ早く帰りたくなった。
当然ながら、母から離れていけない以上、こういう状態から逃れられるわけがないのである。
そしてそれはいつまでも続くわけがなかった。感受性が高いこの時期、人によっては、そのまま
でいるということは、後戻りできない心の病を意味するのかもしれない



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