E P I L O G U E



ある母子相姦の掲示板に以前カキコしたことで母子相姦者の
ある母親からメールを頂いた。その後もいくつかメールを頂いて
今、数人の母子相姦者やそれ直前の状態の母親や息子さんとの
付き合いが出来た。そして実際にお会いしたこともある。当人たちは
やはりだれにも相談できずに不安を常に持っている。

その中でも問題なのは、母親のエゴが目立つケースだ。
私がしてあげなければ、という息子への押し付けである。
まるで病気の子を介護してあげているのだといっているかのように
正当性を訴えている。言わば、射精の為のただの排泄介護である。
その勝手な正当化で、軽蔑されることを避け、無意味な親の威厳を
保とうとしているのである。道徳的性関係を強調した観念思考である。

そして、息子のほうは特に母親の性を求めていないのに、
息子の性を感じて我が子の性を摘んだとしか思えないケースである。
まるで子に乳をあたえるようかのように、息子の人格や大人としての男
性を認めていないばかりか、罪の意識等なく、当然の事と思っている。
息子が身体障害者であったりした場合はむしろそれは仕方ない事だと
も言えようが、それで我が子の人生を変えてはならないと思う。

いずれにしても、上の2つの場合は、息子に主導権を持たない。
「お母さんの言うとおりにしていれば、大丈夫」のような
母親が所有、独占した息子がそこにある。息子自身もひ弱で、
最終的には母親がいないと何も決められず、母親依存型の母子関係
になっていることが多いように思われる。

そして、それとは逆に息子が母親に性行為を強いたり犯すというもの
である。これは母親自身のこころに大きな傷ができるものもあり、
日々、自分の息子に怯えるというような、家庭内暴力的なものもある。

いずれにしても、将来的に問題を引き起こすのは、欲求や思い込みだけ
よるエゴそのものであると思う。通常であれば、親と子の人生は異なるし、
それを一本に束ねる事は難しいのかもしれない。性だけでなく、
それなりの愛と決意がそこにいくらかでもないと、無理であると思う。

では、自分はどうなのか、、、。たしかにそういうケースではなく、自分が
望んで関係に至ってしまったが、母親が亡くなった今、思い返すと。
両親のセックスにさらされていなければ、たぶん母親の性を求めて
いなかったと思う。親の不注意だったともいえるのだろう。
それがなければ、自分の人生も変わっていただろう。しかし、他の女性
では絶対に感じられない強い恍悦感、幸福感を与えてくれる愛の形が
あった。それを育て注ぎ込んでくれた母に無尽の感謝を感じている

しかし、去年の暮れ、母子相姦関係にあるK君にあった。彼はもう母親と
の性関係は終わりにしたいのだと、相談された。結局母親と離れないと
親子関係が取り返しのつかないものになるように思えた。K君はとても
母親思いのやさしい子だが、やはり気持ちが弱く、どうしても母親依存
の考えが捨てきれず、事態をさらに悪化させていると考えられた。
別の女性との新しい生活の上ではむしろ傷となる場合もある。
それも考えて欲しいのである。そして、そうなったとき、母親はどういう
行動をとるべきか、どう接していくのか、考えて欲しいとお母さん達に願う。

母と子が性関係にあったとしても、親子である。夫婦ではありえない。
そして、将来そのことで母親を恨むことがあってはならない。
社会的に否定される関係だけにけっして、母子愛者とか母子性愛とか
いう言葉はその関係にある人たちには理解されても、決して市民権は
得られない。他の性の形は近年認められ、市民権を得てきているが
母子の間の性の関係は決して容認されないだろう。あるのは近親相姦
という言葉だけである。
しかし現実に母子相姦者が存在し、それを望む者達も増え、それで悩んで
いる親子がいるという事や、近親相姦でも母子の割合が突出して高く、
増加の傾向にあるということを考えると
その社会的、倫理的に決して認められないとはいえ、やはりまじめに
母と子の性の在り方を考えるべきだろうと思う。


そして、最後に今は亡き母へ

本当にありがとう・・・

と伝えたい

             

 
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